皆さんは自分自身の出生時間について、はっきりと判明している状態でチャートを立てていますか?
僕はこういった活動をしているので、割とよく出生時間がわからないというケースを目にします。そして、出生時間が分からない場合、なんだか損したようなイメージを持たれがちなところがあるようにも思います。
出生時間がわからないケースについては、いろんな人がいろんな対応をしていますが、この辺について、我々が扱う占星学ではどのような話になるのか、ということについて今回はみっちりと触れていこうと思います。ぶっちゃけ今回はぶっこんでいく内容なので、占い原理主義者な方はこの辺で読むのをやめることをお勧めします…笑
出生時間が分からない場合の考え方
そもそも、母子手帳が見つからないなど、出生時間が分からないということは何を示唆しているのでしょうか。表面的に考えるなら、ハウスが分からない、アングルが分からない、月が隣のサインかもしれない、などなど。チャートを読みたい人にとっては技術的な部分でやや残念に思われるのも確かに事実かもしれません。
一方で、そのような場合について僕が聞きたいのは、「チャートを分析することが目的になってはいないか?」ということです。少なくとも我々のお伝えしている占星学では、チャートを読むのはあくまで手段です。これを読むこと自体が目的なのではなく、これを人生に生かすこと、自己実現や自己成長に役立てていくことが重要です。だとしたら、当然出生時間がわからないというケースに関しても見方が違ってきます。
これを不都合な状態だと考えてしまうのはあまりにもマニュアル的といいますか、まるでチャートが不完全な説明書のように受け止められているのかなという印象を受けるのです。
「ここを見ればこういうことがわかる」といった方法論ばかりが重視されており、ネイタルチャートを体験すること、ネイタルチャートを通して自分自身と対話するということにあまり意識が向かっていないのかもなと。確かにチャート分析は楽しいのですが…ここで霊的視点が必要になります。
ここではっきり言っておきたいのは、これは決して「不都合」なものではないということです。今回はこれにまつわる二つの過去の投稿を紹介しながら話を進めていこうと思います。

出生時間不明は「スピリットから与えられたシチュエーション」である
こちらは出生時間不明やレクティファイに関する個人的見解に触れた投稿です。出生時間不明であることがどのような意味を持つかということに関して、霊的な観点から触れています↓
定期的に出生時間不明やレクティファイについて聞かれるので、個人的な見解をシェアしようと思う。
占星学を人生に生かすために出生時間は必要不可欠か?という問い
こちらは同様のテーマに関してまた別の切り口で触れている投稿です。出生時間不明について、やはりどこか損をしているような印象を持たれる方もいます。
「出生時間が分からない人は西洋占星学を人生に活かしていくことは難しいのでしょうか?」というようなご質問を立て続けにいただくことがあった。
これに関して、自分は全くそうではないと思ってる。時間不明のチャートには時間不明ならではの考え方がある。
今日は出生時間不明について思うこと💫
この問題は星読みを勉強中の人達なら一度は考えたことのあるテーマだと思う。
出生時間不明のチャートとどう向き合えばいいのか。数秘等、違った学問の方が適しているのか…?
もし西洋占星学の世界観が完全にマニュアル的で、完全に左脳的なものなら確かに時間不明は欠点かもしれない。しかし実際のところそうではない…どの視点でチャートを捉えるかによっても時間不明という状態の見え方は違ってくる。
時間不明ということは、ハウスが不明になるということ。もちろん軸も分からない。
その人がわざわざ時間不明の状態を「選んだ」のは何故か?そこに本質があると思う。軸はその人にとって大事な部分ですが、そこを探していくとしたら、それはどんな取り組みなのか?その人の人生のゲームはそこに一つギミックがあると言えるのかもしれない。
また、軸を探求していく上ではある意味土星の働きを必要とすることも外せない部分。
そんなこんなで時間不明については、単なるアクシデントや不便な事実という以上に、それ自体に意味があり特定のテーマを内包している状態だと思っている。
しかし不思議なもので、時間不明だった人が後から驚くような形で時間が判明することもある。それもまた、エゴではない部分のはからいのはず。
時間不明でがっかりしている方も、捉え方次第でチャートに対する印象が変わるかもしれません。
レクティファイに関する占星学的見解
さて、以上の投稿を踏まえてレクティファイ(時刻修正)に関する見解を述べさせていただこうと思います。
時間がわからない場合、時刻修正のテクニックを使用することで割り出そうとする方もおられますが、上記内容でも触れているように、安易なレクティファイに関して我々は否定派です。理由は複数ありますが、その一つとしては、これは正確か否かがどれだけ頑張っても謎だからです。
レクティファイに使用するのは自分の人生で起きたイベントなど、過去の出来事のデータなわけですが、それらを元に天体を動かしながら逆算していきます。例えば○○歳の時、結婚しました!となると、金星や木星を確認したりします…
が、しかし。その人にとって結婚という体験が必ずしも金星的なものだったり、木星的なものとは限りません。例えば、まるで十字架を背負うかのような体験だったとしたら?また、人によっては人生が180度真逆に振れていくような出来事かもしれません。人はすべてをマニュアル的にやれば間違えないと思いがちですが、それが常に人の想定通り機能するとは限りません。人それぞれ体験が持つ意味は違います。
忘れてはならない事実~チャートは有機的なものである
また、レクティファイ中に使用するオーブのルールなど、この辺もすべての人がぴったりきっちり同じルールのもとに天体を体験しているとは限らないため、あくまで読み手の主観の域を出ない可能性が高いと自分は考えます。
仮に過去のデータにどれだけフィッティングしたとしても、未来がぴったりとその法則に従って動いていくとも限りません。これは為替などのトレードをしてきた自分ならではの観点だと思うのですが、為替のチャートにしても、過去の何年間この法則で勝てたから、明日からも勝てるか?というと、そうとも限りません。波は有機的なものです。これは人生の波についても言えることだと思います。過去に当てはまったからそのルールが未来でも常に働いているとは限らないのです。
また、読み手が5人いれば5通りの結果が出るかもしれません。どれが正しい時刻修正なのか、それは誰にもわかりません。(そもそもそこに正解があるかも謎です)
そういう意味で、レクティファイの結果が正しいかどうかは、タイムマシンができない限り証明不可能です。
にもかかわらず、”正しい”出生時間を求めてレクティファイを申し込んだりしている人も多いので、いまいち自分はわからないところがあったりします。
もちろん、ある程度のあたりをつけるアイデアの一つとしてはいいかもしれませんが、常に大事なのは、自分がそのチャートで実際に取り組んでみてどうかというところだと思います。自分の体験や気づきがその配置とマッチングしているかどうか。自分自身との対話のツールとして機能しているかどうか。単純にルール通りに動かしたらこの時間になりました、という話ではやや機械的な印象を受けます。

レクティファイに関して起きた事例
上記投稿文でも触れていますが、レクティファイが正しくなかったという事例を何度か目にしたことがあります。例として僕に霊的な占星学を教えてくださった先生に起きた事例が印象的なのでこちらを紹介します。
とある時間不明のクライアントさんが、ある時突然、界隈で有名な某占星術師さんに時刻修正をお願いしたそうです。
しかしそれで出されたというチャートが、先生としては全くしっくりこなかったようで。
「このチャートをあなたが採用するなら、今後私はうまく読めるかわからない。」というような話をしたそうです。その後、その人は離れていったそうなのですが、結局、その人は母子手帳が突然出てきて時間が判明。先生が細かいレクティファイをせず仮設定したチャートが正しかったそうです。それも、先生の予測とレクティファイで出されたチャートは全く違ったとか。
似たような事例がほかにもあります。
また、自分の尊敬する海外の占星家は、時刻を修正するという発想自体がイラつくとまで言っていたり。僕はそこまでではないですが(多分笑)。少なからず、妄信的になるのは違うなと思う次第です。
もちろん、レクティファイで出した時間が後から的を得ていたと判明するケースもあると思いますが、これを使うにしても、使わないにしても、大事なのはチャートを自分自身と対峙するために活かすことだと思っています。
母子手帳の記録は正しくない説について
母子手帳が手元にあり、出生時間の記録が判明している場合でも時刻修正を行うべきであるとする話もあります。これは母子手帳の記録がそもそも正確ではない可能性があるとのことで、修正しようという話なのですが、これに関しても、明確に母子手帳の記録を使用することをお勧めしています。
なぜかというと、そもそも、その記録は自分のエゴが記録したものではないため、何らかの必然性が働いていると考えます。つまり、自分のスピリットがその時間を記録させているということです。
(スピリット=霊性。ほかにもハイヤーセルフや内在神、内なる神など、様々な呼び名があります。占星学と占星術の違いでも触れていますが、我々はこの考え方を重要視しています。)
時間を記録した人が仮にタイムラグで記録がずれたり、そこに正確性が損なわれる要素が介在していたとしても、それも含めてスピリットの意図が働いた結果だということです。要は、必然を受け入れるというスタンスです。
これはその人の名前にも同様のことが言えると思います。自分で勝手に選んだわけではない名前にも、やはり意味があるはずです。そこにはエゴを超えた意図が働いていると思います。
出生時刻がずれていても機能するチャートの不思議
出生時間に関しては本当に見えない世界の不思議と謎が詰まった話題だと思います。出生時刻を母親に聞いて、その母親が母子手帳を見ながら答えてくれたのに、数年後に聞いたら違う記録が出てきたというケースも目にしたことがあります。
このケースがどのように機能していたと思いますか?
この人は後に別の記録が判明するまで、間違いなくそのチャート通りの人生を生きていました。そのチャートは間違いなくその人の可能性を写したものとして機能していたと思います。
しかし、その後別の記録が判明し、新しいチャートで生きるようになってから、今度はそのチャートのごとく人生が動き始めたのです。このケースではアングルが切り替わったのですが、客観的に見ていて、完全にその変化が人生とその人自身に影響をもたらしていました。
生まれた時間が違ったから、あとから正しい別の時間が出てきたのか、それとも、何らかの意図が働いて出生時間が根本的に”変わった”のか。それは誰にもわかりません。しかし、1つ目のチャートも、2つ目のチャートも、両方ともちゃんと機能していたことは事実です。こういったものを目にしてきているので、なおさら、自分はチャートを何か正しくお決まりのルールに従って動くもの、機械的、マニュアル的なものではない、それ以上の意図が働いたものだと感じるのです。
出生時間不明がもたらすアドバンテージ
さて、ここまで時間不明について、そして時刻修正の話題について触れてきましたが、そもそも結局のところ、時間が分からないということがその人にもたらすものは何なのでしょうか。
ここまででも触れたように、時間不明の場合はアングルが特定できず、同時にハウスもわかりません。ということは半球のどこに天体が偏っているかもわからなければ、アングル上の目立つ天体も不明です。月もその位置によってはサインが分からなくなる場合があります。月に関してはほかの天体とアスペクトしているか否かが変わる場合もあるでしょう。当然サビアンを含む度数理論も使用できない部分が出てきます。
このように技術的な話を並べると一見確かに不完全にも見えてしましますが、、
僕は時間不明であるからこそのアドバンテージが存在すると思っています。それはどのようなものかと言いますと、可能性を限定されないというアドバンテージです。
時間がはっきりしておりアングルが判明していれば、ある意味それがその人の指針になると同時に、良くも悪くもそこに限定されてしまうということも言えると思います。それは本来決して悪いことではないのですが、例えば、「私の土星は2ハウスにあるから、こういう苦労をするんだ、これができないんだ」「私のASCはこのサインだから、私はこうなんだ、こうしなくてはならない」といった、固定されたイメージを刷り込んでしまう場合もあります。
出生時間が分からないことによって、その人は自分を模索するための試行錯誤をしていく必要があります。その都度その都度で、固定的なイメージにとらわれず様々な自分を試すことができるのは一つのメリットです。そういう意味では、より自由度があり、チャートを使って自分と対話していくような取り組みをさらに必要とする人たちなのではないかと思います。
そういう取り組み方でしか身につかない感覚ってあると思うので、楽しみながら模索するのがいいのではないかと。前述のとおり、チャートは非常に不思議なアイテムです。正しいか、間違っているか、という機械的な話に単純に当てはめることはできません。また、そういうアイテムとしてみるか、ただ生まれた時の空を切り取っただけのものとして扱うかでは、自分がチャートを通して体験する内容も大きく変わってくるのではないかと思います。

あなたには頼もしい土星がついている!!
とはいえやっぱり出生時間がわからないことに対し、損をしている感がぬぐえないそこのあなたへ。このシチュエーションをわざわざ’’選んでいる’’ということは、やはり人生の中で土星の働きを必要としているということだと思います。また、同時にそれは、あなたに頼もしい土星がついてくれているからこそとも言えるはずです。
自分の輪郭を模索していく作業には土星の働きが必要不可欠なのですが、この頼もしい教師が自分についていることを信頼して、自分のチャートを探求してみるのもいいかもしれません。
ある時非常にしっくりくるアングルを発見するかもしれませんし、ある日突然、奇跡的な形で母子手帳が出てくる…なんてことも起きるかもしれません。実際、そのようなケースはたくさんあります。
土星は時を司る神、クロノスを象徴します。土星は月と共に働き、その人のタイミングをはかっているのです。(この辺に関しても講座では具体的に話をしています。)
とある我々の講座に来てくださっている方の一人は、生まれた時間があいまいで、ASCが牡羊座か牡牛座かが分かりませんでした。体感的に牡羊座だろうと思って生きてきたようなのですが、ある時、自分は牡牛座のASCだと思う、と言い出しました。そして今思えば、そのあたりが人生のターニングポイントになったという事例があります。こういうのはタイミングがあると思いますね。
また実際、突然母子手帳が出てきたというような話を耳にすると、やはり我々はエゴを超えた意識の働きと共に生きているのだなという実感を得ることができます。皆さんにもぜひ、ネイタルチャートを通して人生の神秘に触れていただければと思います。
出生時間がわからない場合に関して~今回のまとめ
出生時間不明のシチュエーションに関してみっちり書いてみましたがいかがでしたでしょうか。単純にずれた機械を直したほうがいい、という視点から離れ、スピリットの意図が働いたのだとしたらどうなのか。という視点が伝わっていればいいなと思います。
時間不明であるということ自体が自分にとって意味のあることであり、それすら自己探求の道のりとして用意されたものかもしれません。この世的な良し悪しでなく、より引いた目線でイメージすると、時間不明の見え方も変わってくるのではないでしょうか。いくつもの事例を耳にしたり目の当たりにしたりしていると、やはりすべては完璧なんだなと思います。
大切なのは、ちゃんと自己探求のツールとして、自己成長のためのマップとして機能するかどうかだと思っています。いくら未来予測ができたところで、自分と対峙できないのであれば意味がありません。もちろん、どんな目的でチャートを扱いたいかによりますが…
今回僕がシェアしたかった内容は、体験を通してしか理解しにくい部分もあると思います。どこかピンときた方にはぜひこのスタンスでチャートを探求してみてほしいなと思います。