「占星学」と「占星術」皆さんはこれらの違いについてどう思いますか。大体の場合は厳密には意味を分けずに使われやすく、そしてどちらかというと「占星術」の方がメジャーです。これについて、我々個性占星学ではそれぞれを別のものとして定義して扱っています。この二つは何がどう違うのかというところを解説していくのが今回の記事の目的です。
あくまでここで扱う占星学ではこう定義している、という話になりますので、その前提で読み進めていただければと思います。
占いとしての「占星術」学問としての「占星学」
占星術と占星学の違いについて、ざっくり一言で言ってしまえばこうなります。占星術は占いであり占星学は学問です。英語ではどちらもastrology(アストロロジー)と表現されますが、これをどう訳すかについては自分がどのようなスタンスをもってホロスコープを扱うかで決まると考えます。
もちろんこれらは我々の扱う占星学における定義なので、ほかにもいろんな考え方があります。中には、術も学も違いはないと語る人もいますし、占いと科学の違いだという人もいます。考え方は人それぞれです。ただ、どのように認識するにせよ、僕個人はどの言葉を使うかには大きな意味があると思っています。実際、術と学はそれぞれ意味合いが異なる単語です。名は体を表すといいますが、どの言葉を選ぶかにはその人の姿勢やスタンスが反映されると考えます。

占星術は「術(すべ)」である
占いとしての占星術はその名の通り「術(すべ)」です。これは手段や方法といったニュアンスを含む言葉になりますが、例えばエゴ(人格)を主体として何らかの結果を出そうというようなときの手段として使われたりします。
- いつ仕掛ければ勝負に勝てるのか
- いつどこに種をまくのが良いのか
- どうすれば未来に起こる難を避け、幸運を受け取ることができるか
- 意中の人を振り向かせるためにどんな動きをすればいいか
- 自分のチャートのどこに悪い配置、良い配置があるかを見たい
- 運命を知りたい
こういったテーマは占い的なものとして分かりやすい一例かもしれません。
もちろんどのような姿勢で臨むかにより違ってくるかもしれませんが、主に吉凶を判定してそれらを元に何らかの結果へ向かって判断していこうとするのが占いとしての占星術だと考えます。特徴は、エゴが主体であることです。また、吉凶的な話ともややつながる部分ですが、運命論的な背景から何かを判断していくことも占いとして考えます。
占星学は自己成長を促す霊的な学問
一方で我々が定義するところの占星学は学問であり、それはどのようなものかというと、「魂の視点でチャートを扱う、自己成長のための学問」です。自己成長とは意識の拡大、つまり、困難に挑戦し未知を既知としていくことです。
ネイタルチャート(出生図)をイメージしてみてください。人それぞれ違った配置を持っていますが、これをデザインしたのは一体誰なのでしょうか。少なからずエゴはこれを作っていません。そもそも私たちが生まれてくる前にチャートを設定してきた自分というのがあり、これがスピリット(霊性)です。ネイタルチャートに描かれているものは、スピリットの意図そのものであるとも言えると思います。
つまりこれを読み解くには、エゴ的な視点、社会的な概念、吉凶などの良し悪しなど、こういった視点では成立しないということになります。そこで個性占星学で扱う占星学の要になるのは魂の視点、霊的な視点です。
ネイタルチャートには、スピリットが今回の人生で知ろうとしていることに取り組めるよう、そのゲームに必要な資質やテーマが描かれています。資質の中にはもちろん、才能や能力と言われるようなものもあれば、特定のものに対する苦手意識やコンプレックスといったものも含まれます。これら全てを含めて、自分自身が設定してきたテーマから逃げずに取り組み、自分のゲームを進めませんか?自分の可能性を発揮していきませんか?というのが我々の扱う占星学の世界観です。
ここでシェアしている占星学について、こちらの記事でも世界観について触れています。
ネイタルチャートと向き合う道のりについて~人の成長は螺旋状に進む
占星術と占星学の違いが生む可能性への影響
一方で、我々のいうところの占星術では、何か難しい人間関係に直面しやすい時期だったりしたときに「今は人と深く関わり過ぎないようにしましょう」「今はトラブルが起きやすいので人に優しく接してあげましょう」「できるだけ動かないほうがいいでしょう」「コンプレックスをつついてくる人からは離れましょう、縁を切るべきです」といった話になったりします。これは難を回避する動きの代表的なものだと言えるでしょう。
例えば他にも火星が強まる時期について「ジムへ行って発散しましょう!」というアイデアが出てきてしまったりするのも、特徴だと思います。そもそも“火星が何のために働いているのか?”という前提がないと、このようにどうしても対処療法的なやり方になるのだと思います。
また、他人のMCを簡単に読んでしまうようなことも我々は行いません。それはほとんど不可能だからです。これにもちゃんとした理由があるのですが、今回は割愛…
いずれにしてもこのような解釈をした時に起きるデメリットとして、自分が生まれる前に設定してきたテーマにいつまでたっても取り組むことができない、魂の視点から見ると人生が全く持って前に進んでいかない、という問題があげられると思います。
目の前で展開される現実的な問題にはその人自身の根深いテーマが隠れているのですが、それをただ「問題が起きているから」「嫌いだから」「厄介だから」という理由でスルーしていくと、当然問題も起きませんがその人の内面にも変化は起こりません。むしろ、再び挑戦の機会として目の前に同じ問題がやってくるかもしれません。回避し続ける限り、その人は可能性を発展させていくことができません。
例えば、人間関係で繰り返される特定のパターンってないでしょうか?いつもこういう人が出てきて台無しにされてしまう、毎回関係性を壊してしまう、同じようなことで言い争いになる、など。それらの裏側には、その人の未解決な課題があったりします。未解決なものに気づくために繰り返されている問題があるということです。
ここで言う占星学では、このような問題の本質を霊的な視点で捉えていきます。先ほどの例のように、難しい人間関係に直面しやすい時期であれば「何故それが起きているのか」「何を学ぶ必要があるのか」「ここを解決していくことでどんな可能性が得られるのか」「そこと対峙していくうえで、どんな力を培っていくことができるのか」といったように。
その人の人間関係に特定のパターンがあるのなら、それを作り出している原因と、そこにどんなテーマがあるのか、それはどんな可能性へとつながっていくのか、そういったことを見ていきます。
問題をスルーすればその人の可能性は閉じていきますが、問題に隠れた未解決なテーマを通して智恵を得ることができれば、その人の可能性は拡大していきます。以下はここまでを簡単にまとめた画像です。

占星学を支える霊的な視点=一般的に言われるスピリチュアルでもない
占星学を支えているのはそのスタンス、つまり霊的な視点にあります。先ほども触れたように、チャートを解釈する上ではエゴ的な視点やこの世的な概念から一歩離れる必要があります。一つ一つのサインやハウス、天体の解釈、実際に取り組むために必要な考え方、これらすべてを霊的な視点を骨子として、一つの方向性へと束ねています。
インターネットを見ていると、とてもややこしいなと思うものとして、スピリチュアル系の占星術を扱う人達も多いですが、我々と同じスタンスで取り組まれている方はほぼいないのではないかというのが個人的な感想です。
我々に占星学をシェアしてくださった先生は「スピリチュアルの界隈は言ったもん勝ちになってしまっている」と話していました。見えない世界に関しては本当に様々なことが言われていますが、ただ一つ言えるのは、スピリチュアルはキラキラした魔法のような、触れただけで癒してくれる不思議な世界ではないということです。したがって、ここで言うところの霊的な学問としての占星学も、決してマジカルなものではありません。
これをどう伝えていいか悩みますが、ネイタルチャートをヒントに自分のテーマを取り組む過程は天体でいうのであれば、自分は土星的な世界なのではないかと思います。占星学はもちろん深遠なロマンのある世界観ではあるものの、これを使った取り組みの過程は、夢の世界に浸っていくものというよりは、むしろ生々しく自分の姿と対峙していくものです。現実的に直面しているものを、よく見ながら取り組む必要があるなと自分で実践していても感じる次第です。

霊的な視点の代表的な一つ…鏡の法則
占星学で扱う霊的視点の中で、代表的なものとして鏡の法則が挙げられます。これに関しては割とどこかで小耳にはさんだことがあるかもしれません。現実は自分の意識が投影されたものであり、他人の姿は自分の姿そのものであるという考え方です。占星学に取り組むうえではまずこの視点が必要不可欠であったりします。
しかしこの法則も、人により都合よく解釈されてしまっていたり、その人の世界観によって解釈が細かく違っていたりする印象です。これにはざっくり分けて数パターンの考え方があるのですが、先ほども少し話題に出したスピリットという概念抜きでは語ることができません。しかし多くの場合は、このスピリットの存在を考慮に入れずに解釈されているように感じます。
この視点を受け入れられない方も当然おられますが、現実に向き合い、自分の姿を見ようとすればするほど納得せざるを得ず、また、多くの不思議な出来事が実際に起きまくります笑
自分の中で気づきが起きると同時に目の前の人の態度が変わった、その人の内面が整理された途端、隣のごみ屋敷が片付いたなど…本当に驚かされる現象をたくさん見てきました。人は現実で見るものすべてを通して、自分自身のスピリットと対話し続けているのです。
占星術に慣れた人ほど苦戦しやすい占星学
我々が占星学をシェアさせていただく中で、すんなりと学習が進み現実的に活かしていかれる方と、中々頭に入っていかないタイプの方がいるなと感じることがあります。これは個人的に奇妙だと思う傾向なのですが、回数を重ねれば重ねるほど、これは客観的な事実だと感じざるを得ないことでもあります。
占星学を学んでいく過程で苦労しやすいのはどんな人かというと、実は占星術師さんだったりします。要はここでいうところの、占いとしての占星術にどっぷりはまってきた人ほど難しかったりすることが多いようです。もちろん長年違ったスタンスのものに触れてこられたからというのはあると思います。また、どんな占星術をされてきたかにもよるので、すんなりと学べる方もいらっしゃいますが、傾向的にうまく学習が進みやすいのはむしろ占いの考え方が染みついていない初心者さんです。
同じホロスコープを扱い同じシンボルを読み解いていくので、一見経験者のほうが有利にも見えるのですが、組み合わせは無難に読めるけどいざ自分のチャートとなるとうまく読めない、実践できない、自分に対して落とし込めないという現象もこれまで何度か見てきました。
占いが陥りやすいマインド
同時にこれには占いを扱う際のマインドセットというか、そこからくる思考癖のようなものなどが関係していると自分は分析しています。様々な例が挙げられるものの、吉凶はわかりやすいです。良いか悪いかで分類する癖が気づかないうちに刷り込まれてしまうと、人によってはシンボルをフラットに見ることができなくなりがちなことがあります。
ある時、占星術を勉強されてる方から聞いた話が今でも印象的なのですが、その方は自分のチャートの特定の組み合わせについて「ここは良い配置」「ここは悪い配置」と説明し始めました。しかし、天体にはそれぞれ明るい面と暗い面がオールインワンになっているため、良いも悪いもありません。つまりその解釈はあくまでもその人のフィルターを通した話ということになります。人によっては学習の際にそのフィルターにあてはめようとするため、予想以上に苦戦することがあります。(特に蟹座は苦戦する人が多いサインです)
良いか悪いかで分類すると、それ以上深い層に届かないというか、その分類自体がストッパーになってしまいがちなところがある気がします。そうなると天体の配置が持つ多面性やわざわざそれを設定してきた霊的な意図など、本当にその人にとって意味のある部分まで深まっていかないことがあります。

使われるキーワードの違いについて
また、出てくるキーワードがしばしば一般的ではないことが難しいとシェアしてくださった方もたまにいるのですが、これも実は占星術に慣れた方に多いリアクションだったりします。
ここは確かに難しいのですが、一般的に理解しやすい単語に修正していくと、そもそもの意味が変わってしまうリスクがあります。思うに、わかりやすいものが世の中には溢れすぎている気がするのです。本来は深遠な世界を紐解くものだと思うのですが、あまりにもシンプル化されすぎていて、方法論的、左脳的なものにフィルタリングされてしまっている部分があると思います。その背景には、やはり商業的に広まらないといけないという背景があるのではないかと自分は考えます。大衆が理解しやすく、触れたくなるキャッチーな感じにまとめられたものばかりに、我々現代人は慣れすぎているのかもしれません。
しかし、例えば英語にしかないニュアンスのものを無理やり日本語のそれに近い単語に置き換えてしまえば、本来のニュアンスが持つイメージを損なう場合があります。人間に合わせて単語を変えるのではなく、人間が意識の世界を理解できるように思考を柔軟にしていく必要があると自分は考えています。英語を英語のまま理解する脳トレのようでもあります。これに必要なのがある意味水星力です。頭で理解できなければ実践あるのみ!行動して体験してみて実感できて、そこで初めてその人の知識になります。
余談ですが、実際に思考がまとまりにくく、何を話しているのかよく分からなくなりがちだった方が占星学を学び始めて、その問題を克服できた例もあります。占星学は普段使わない脳の使い方をするので、脳トレ的な側面があるのでしょう。
占星学と占星術の違い~まとめ~
今回は個性占星学で扱う「占星学と占星術の定義」についてシェアさせていただきました。ここでもう一度今回の内容をまとめると、占いとしての占星術、霊的な学問としての占星学です。これに共感していただけた方がどれくらいいるのかは正直わからないですが、我々のスタンスが何となく伝わっているといいなと思います。もちろんこの考えを押し付ける気も全くございません。この人たちはこういう考え方をしているのだなと思っていただければそれで充分です。
こういう話をしていると、占いアンチなのかと聞かれることもありますが、特にそうでもありません。僕の本棚には占いの本がみっちり詰まっており、もはや置き場がないくらいです。ただ、我々の目指す霊的成長という観点から考えると、どうしてもここで言うところの占いではバックボーンとなる世界観やマインドセット的に難しいところがあると考えている次第です。占いは占いで興味深いですし、面白いと思っています。用途の問題です。
自己成長なんて目指してない、ただ楽をして生きたいと思う方も多いと思います。正直なところ昔は自分もそういうところがあったと思います。しかし、目の前に提示される「テーマ」を直視することなく、自分を幸せにすることはできないのだと今ではとても実感しています。それは決して簡単なことではないですし、ラッキーアイテムで何とかなる話じゃないですが、そのための補助輪が占星学だと思っています。
実は今回の話は基礎講座の第一回冒頭にて触れさせていただく話の一部だったりします。これまであまりこの辺の定義について詳しくネットでシェアすることはありませんでした。どうしても占い師さんが多い界隈なので、否定されたと感じさせてしまうかもしれないからです。ただ、あまり引っ込んでいると本当に共有したいものが伝わらないかもなと思い、今回長文でしたためました。
我々は自己探求と自己成長というところに占星学の意義を見出していますが、結局のところ術にせよ学にせよ、その人がどんな取り組みのためにどんな姿勢でネイタルチャートを扱うかが大事なのではないでしょうか。今回記事を書きながら改めて、自分が実践しながら学んでいるものについて理解しなおせた気がします。
講座やセッションも受付中です。ぜひ興味があれば気軽にご連絡いただければと思います。